音楽っていうのは、すべて必然のもとに成り立っているから面白い。数学とかと一緒なのかな。僕は数字は嫌いだけど。感情で音楽を演奏し語る人間は僕は信用できない。偶然に価値があるというのは錯覚で、要するに僕が知っている限り、音楽に関しては「偶然1+1が起こった」ということはあっても「偶然1+1が2になった」ということは無い。
そして、いい音楽とか悪い音楽というものは、少なくとも複雑さや難解さ、ジャンルのレベルでは存在しない。過去の音楽は言ってしまえば只の歴史だから、モラルとか感情の面を除いてしまえば史実に善し悪しを付けるのはナンセンスだと思う。
この二つは音楽を公正に考えるにあたってとても大切なことだと思う。どうだろう。
でも世の中には色んな音楽があって、僕達も普通の社会的な人間だから、好き嫌いがある。
大切なのはそれを非常にプリミティブなレベルに落とすトレーニングを自分に課す事で、そうしない限り、自分とその音楽の距離を測るのはとても難しい。
つまり、餓死寸前の状態で甘いものと苦いもののどちらを口にするのか?
とか、女の子と犬がいたらどちらとセックスしたいか?
というのと同じレベルです。何かを聴いた時、そのレベルでの判断をしないと自分にとってその音楽が持っている可能性や、人間にとっての存在意義を見失ってしまう。
ところが人間ってのは不思議で、余計な脳みそを持っているから、いつでも犬とセックスしたがるような無法者が結構いる。それはそれで一つの可能性として認めよう。三つ目のポイント。変態は人間にだけ許された特権だとサドだか、パゾリーニだかも言っていた。変態を許容する事が、実は深いところで音楽の「芸術性」に関わってくるのかも知れない。
これから気力が続く限り、度々音楽について書いていく事があると思うんだけど、今回のは、それを控えての基本テーマの設定です。
全ての音楽は科学で、平等で、変態です。
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